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大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)1802号 判決 1969年8月21日

控訴人

児玉木材株式会社

代理人

寺浦英太郎

被控訴人

株式会社近畿相互銀行

代理人

松永二夫

宅島康二

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実<省略>

理由

一訴外藤本磯二が、控訴人主張の額面金五〇万円、支払期日昭和三九年一二月一五日、振出人右訴外人、受取人控訴人、支払場所被控訴銀行天六支店なる約束手形の支払拒絶に伴う取引停止処分を免れるため、右支払期日である、昭和三九年一二月一五日過頃取引銀行(支払銀行)である被控訴銀行に対しその異議申立手続を委任して金五〇万円を預託したところ、被控訴銀行がその頃大阪手形交換所に金五〇万円を提供して右異議申立手続をとつたこと、他方手形債権者たる控訴人においてはその後藤本に対し右手形金を訴求した結果、同人を債務者とする大阪地方裁判所昭和四〇年(手ウ)第一四号事件の執行力ある判決正本を取得し、これに基き、昭和四〇年四月八日、藤本が被控訴銀行から返還を受けるべき前記五〇万円の預託金返還請求権について大阪地方裁判所昭和四〇年(ル)第七八八号事件及び同年(ヲ)第八四四号事件の債権差押並びに転付命令を得、同命令は右翌日頃第三債務者たる被控訴銀行に送達されたこと、及び被控訴銀行がその後大阪手形交換所から前記異議申立提供金五〇万円の返還を受けたこと、以上の事実(但し右預託金と提供金の関連性の点を除く)は当事者間に争いがなく、被控訴銀行が右異議申立提供金五〇万円の返還を受けた日時が異議申立後三年を経過した昭和四二年一二月であることは控訴人も明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

二控訴人は被控訴銀行に対し右転付債権の支払いを訴求するのに対し、被控訴人は右債権を自行の藤本に対する債権と対等額で相殺する旨抗弁するので検討する。

<証拠>によれば、被控訴銀行は昭和三九年三月四日前記藤本に対し金一、〇〇〇万円を弁済期昭和四〇年一月二三日等の約で貸付けたことが認められ、他に反証はなく、そのうち被控訴人自身が五〇〇万円の弁済を受けたと自認するほか、これを超える弁済があつたとの主張立証はないから、結局被控訴銀行は、控訴人から前記債権差押を受けた昭和四〇年四月当時はもちろん、後記相殺権行使当時、既に藤本に対し弁済期既到来の貸金債権残五〇〇万円を有していたことが認められる。また、被控訴銀行が控訴人に対し本訴(昭和四二年三月一〇日の口頭弁論期日)において右債権(自働債権)をもつて控訴人の本件転付債権(受働債権)と対等額において相殺する旨の意思表示をしたことも記録上明白である(なお、控訴人は、被控訴人主張の自動債権中、右貸金債権より後順位で主張する手形貸付債権の相殺について、弁済期未到来の主張をするけれども、被控訴人の援用する反対債権は前記貸金債権五〇〇万円をもつて充分であること計算上明らかであるから、右主張の当否を判断する必要はない)。

そこで、すすんで右相殺の効力について審究するに、被控訴人主張の自働債権(前記貸金五〇〇万円中、転付債権と同額部分)が右相殺当時既に弁済期が到来していたことは前記のとおり明らかであるから、受働債権(本件転付債権)が相殺適状にあるか否かについて考える。

まず、手形不渡処分に対する異議申立手続を依頼する手形債務者と支払銀行との間の異議申立預託契約における預託金返還時期は、右契約の趣旨に照らすと(後記三、参照)、支払銀行が異議申立の全手続終了により手形交換所から提供金の返還を現実に受けた時と解するのが相当で、本件被控訴銀行、藤本間の預託契約についても、これに反する特段の約定があつたと認むべき証拠はないから、本件転付債権の履行期は被控訴銀行が現実に手形交換所から提供金の還付を受けた時である昭和四二年一二月、すなわち本件転付命令送達及び相殺の意思表示のあつた後であると解さなければならない。しかし、(一)このように弁済期到来前に相殺受働債権の転付があつた場合でも、第三債務者(被控訴銀行)が右転付命令送達当時既に弁済期の到来している反対債権(前記貸金債権の一部)を有する以上、右転付債権者(控訴人)に対し相殺をもつて対抗することができることもちろんであり(民法第五一一条。最高裁昭和三二年七月一九日及び同(大法廷)昭和三九年一二月二三日各判決参照。)、また、(二)被控訴銀行が受働債権(本件転付債権)の履行期前にこれを相殺した点についても、右履行期は債務者たる被控訴銀行の利益のために定められたものと推定せられ、本件では右推定を覆えすに足る事情はないから(民法第一三六条第一項。なお、預託金は無利息を原則とする)、被控訴銀行は右利益放棄の意思を明示するまでもなく直ちにこれを相殺することを妨げないと解すべく(大審院昭和八年五月三〇日判決参照)結局、被控訴人のした本件相殺は有効で、控訴会社の本件転付債権は右相殺により消滅したものというべきである。

控訴人は、本件の場合転付債権の履行期は転付命令送達時と解すべきである旨主張するけれども、その所論は以下述べる理由によりにわかに左袒し難い。すなわち、控訴人は、当該不渡手形債権を表示した債務名義によつて不渡異議申立預託金返還債権を転付されて取得した場合は右異議事由たる紛争が解決したに等しい旨主張し、<証拠>によれば、大阪手形交換所における現行手形交換規則では、手形交換所が支払銀行に対し異議申立提供金を返戻すべき場合の一、として「提供銀行が異議申立提供金返戻申請書に、不渡届出銀行の不渡処分取止め請求書をそえて手形交換所に提出したとき」との定めがあり、右返戻申請書の書式中にこの場合を不渡事故が「解決した場合」として表示していることが認められるけれども、右手形交換規則の定めは、不渡届出銀行が不渡処分の取止め請求をした場合には、異議申立提供金の提供銀行の求めにより、提供金を同銀行に返還する、という取扱を定めているだけであつて、不渡事故の実体的解決(事故原因につき当初からの無責任が判明した場合を含む)を直ちに提供金の返還原因として規定したものでないことは明らかである(さもなければ、手形交換所自ら事故原因の解消または不存在を一々探査判断する義務を負担することになり、到底その任に堪えないであろう。)元来、支払銀行が形不渡による銀行取引拒絶処分の実施につき異議申立を為すのは、右不渡事故が手形債務者の信用に関しないことを認める場合に限るもので、右判断は支払銀行が独自の立場で為すべきものであることは、前記交換規則の文言と本制度の趣旨に徴して明白であるから、異議申立後における手形交換所に対する手続、行動についても同様であるべき筈であつて、ただ前記のいわゆる事故の「解決」といわれる場合は、不渡届出銀行が事由の如何を問わず不渡処分の取止めを求める(すなわち取消ないし撤回申入)というのであり、結果として取引停止処分が行われずに済む点において外形上手形債務者の信用は害せられず、その点で同人の利益に帰することが明白なので、これに応じて異議申立も取下げ(必要性の消滅)、そのための提供金も返還を求めるという処理が通常妥当とされるに過ぎず、不渡届出銀行の不渡処分取止め請求がなされ得る事由の如何によつては、例えば本件の如く、手形債権者が手形債務者の意に反して訴訟を提起し強制執行の手段に訴えた結果、債権が認められ、その満足を得ようとするような場合は、手形債権者が不渡届出銀行に依頼して具体的に前記の取止め請求を出すまでは、そこに生じた事態はむしろ反対に手形債務者の信用が失われる事情であつて、その限りでは事故の円満解決とは程遠く、これと同視することは到底できないばかりか、異議申立提供金の見返りとされる手形債務者の預託金の返還請求権は、転付により手形債権者の手に帰し、その意味ではその時以後は異議申立銀行に対して担保としても見せ金としてもその価値を失つたこと(すなわち、他人からの預託金)になるのであるから、異議申立銀行としては、手形債務者の意に反しても、むしろ銀行取引停止処分を甘受しなければならない情勢に陥つたもの(債務名義たる判決は直接銀行を拘束しないけれども最も有力な公権的判断である)といわねばならない。反面手形債権者としても、前記のように当該手形債権につき債務名義を得て強制執行をする場合は、手形債務者につき銀行取引停止処分を回避させる必要は格別存しないわけであるが、たまたま手形債務者の利益のためにする支払銀行の異議申立があり、同銀行に預託した手形債務者の預託金が発見され、この返還請求権の転付による回収を早期に実現させる方法として、不渡届出銀行に依頼して前述の不渡処分取止め請求をすることにより、提供金の返還による預託金の即時取立回収を図る途があるので、便宜この方法を利用する例があるにほかならず、不渡届出銀行としても、手形債権者がこの途を選んだ場合に初めて、その意を体して不渡処分取止め請求書を提出するに過ぎないのであつて(不渡届出制度が公的意義を有するものであるとすれば、この便法の安易な利用を認めること自体が問議されなければならないが)、転付による手形債権の取得が、直ちに事故解決と目されるものでもなく、不渡処分すなわち銀行取引停止処分の進行停止原因になるわけのものでもなく、いわんや手形交換所について、異議申立提供金の返還義務の履行期到来を生ぜしめるものではない。

のみならず、本件転付債権の履行期が控訴人主張のとおりであるとして、そのことは被控訴銀行が相殺に供した前記自働債権の履行期より後であることには変りはないのであるから、右主張によつて本件相殺の効力を左右することは出来ない。

三次に、控訴人は、藤本が被控訴銀行に交付した本件預託金は当該不渡手形金債権を担保する趣旨のものであり、関係当事者もすべてそのように考えているものであるから、被控訴銀行が右預託金返還債務(本件転付債権)をこれと全く無関係な藤本に対する貸金債権の如きと相殺することは、甚しく控訴人の期待に背く反面、支払銀行が漁夫の利を得る結果となり、公序良俗に反し無効であるか、信義則に反し権利濫用として許されない旨主張する。

しかし、元来、手形義務者の受ける取引停止処分を免れるため手形交換所に対して異議申立をするのは支払銀行であつて、手形義務者がこれをなすものではない。支払銀行は、前述したとおり、交換規則に基き自らの責任において、果して当該手形の支払拒絶が手形義務者の信用に関しない事由)詐取、偽造、権利消滅等)に基くものであるか否かを判断し、これありと認めた場合にかぎり自己の名において異議申立をなすものであり、異議申立提供金は支払銀行が右異議事由を疏明するため手形交換所に提供するものにほかならず、右提供金と不渡手形金債権とは法律上直接の関係はない。もつとも、実際上は支払銀行は支払義務者の委託により異議申立をなし、且つ同人から右提供金と同額の金員の預託を受けているのがほとんどの事例であることは充分推測されるところであるけれども、右委託契約に基く預託関係と預託金返還請求権、支払銀行が手形交換所に提供する異議申立提供金の提供関係と提供金返還請求権とは、控訴人はこれを同一視するが如き立論をするが、両者は法律上別個のものであつて、支払銀行としては、控訴人主張のように手形義務者の異議申立や預託金差入を手形交換所に対して代行し、または取次ぐものではない。従つて、右提供金の手形交換所よりの返還請求に関する手形債権者の関与すなわち控訴人のいわゆる利害関係は、そのまま預託金返還請求権上の利害関係と見ることはできない。また手形債権者の立場から見て、手形債務者が支払銀行を煩わせて異議申立手続をとらせたり、同銀行に預託金を差入れるか否かは、手形債務者の意思のみに依存する偶発的事情であつて、手形債権成立の当初はもちろんのこと、手形不渡の時点でさえ、当然の推移として期待される事柄ではない。また、現実に手形債務者が支払銀行に預託金を差入れた場合でも、手形債権者がこれを覚知するのは、特段の注意を払つた場合などの特別の場合であつて、事の常態ではなく、その場合でも手形債権者がこれを担保視するのは、全くその者の恣意であつて、何ら必然性はなく、手形債務者としても、手形債権者が右預託金を執行の対象として狙うことを期待する筈はなく、むしろ出来れば覚知されずに終ることを期待するのは人情の常であろうから、手形債務者が、手形債権に引当てられることを予期しているなどという控訴人の主張は全く独断の域を出ない。次に、支払銀行としても、取引先である手形債務者が従来の取引資金とは別に預託金を差入れた以上は、右預託金が手形交換所への提供金の引当てとして最上の担保となるほかに、他の取引上の債権についても、その一般担保として目されることは不可避の事態であつて、この点では支払銀行と手形債権者を含む一般債権者との間には何らの区別はなく、控訴人主張の支払銀行の目的外の権利行使が不当であるとか、同銀行のみが漁夫の利を得ることになり、信義公平に反するとかいう所論はすべてそのまま首肯できない。そして以上控訴人の主張からは、本件預託金が法律上当然に当該手形債権者の債権のみの担保として拘束されたものと解する合理的根拠は、遂にこれを見出すことができない。よつて、右担保的性質を前提とする控訴人の主張は失当である。また、本件に提出された全証拠によつても、他に被控訴人のした本件相殺権の行使を公序良俗に反し、または信義則に反し権利の濫用と認めるに足る事情は認め難いから、控訴人の前記主張は理由がない。

四そうすると、控訴人の本訴請求は全部理由がないこと明らかである。

よつて、これと同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(宮川種一郎 竹内貞次 畑郁夫)

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